春乃ひなたです。
私はいい母親ではありませんでした。
産後6週間を娘たちと過ごしただけで、仕事に復帰しました。 
 働き始めたばかりで仕事に未練がありましたし、主人もまだ若く、年老いた主人の両親と同居の家計を支えるためにも、出産を機に仕事を辞めることはできませんでした。
 
 今、次女の子育てを間近で見ながら、私は自分の娘達になんて寂しい思いをさせて来たんだろうと、悔いるばかりです。

 こんなに可愛いんだ
 こんなに大変なんだ
 こんなに愛しいんだ

孫を通して知らなかった自分の子どもの小さい日の姿が見えてきます。

 そして、今は亡き年老いた義母が、本当に一生懸命、私の娘たちを育ててくれたんだと、今更ながら感謝の気持ちでいっぱいです。
 長女には、寂しさとともに、悲しみも味わわせてしまいました。
 義父は(すでに他界しています)明治生まれで(主人は義父が40過ぎてからの子です) 気難しい、がんこな人でした。
 
 私はこの家で、この義父に仕えて、常に「嫁」を優先するしかありませんでした。
 ストレスをためた私のお腹は、赤ちゃんにとって良い環境ではなかったのでしょう。
 長女は産まれてから2年半、ずっと夜泣きを続けました。
 物心ついてからは、感受性がつよく、カンの高い子でした。 
 
 そして、妹が産まれてからは
 両親は、自分よりも妹をより愛していると寂しく、悲しい思いを強くしていきました。
 主人と私がその気持ちに気づいたとき、もう長女は心の奥に傷をつくっていました。
 もちろん、2人とも主人と私が望んで授かった子で、若く、拙い親ながら、一生懸命変わりなく、2人を愛したつもりでした。
 
 ただ私は、感受性が強く、利発なこの長女が、私のすべてを受け入れてくれるような気になって、(本当はもっと心をくだいてあげなくてはいけなかった傷つきやすい娘に)悲しみや、イライラや、ストレスを隠そうともせずこの小さな娘に見せていたように思います。
 
 大人になった長女は、心の奥のその隅に小さくて、悲しい自分をしまっているように思えます。
 でも律儀な愛しいこの娘は、 「子どもは親を愛さなくてはいけない。」 と健気に努力しているように思えます。

 私はこの娘に、 親だからって 無理に 全部を 愛さなくっていいんだよ と言ってやりたいです。
 
 でも お父さんとお母さんは
 どんな時も
 どんなあなたも
 いつでも
 いつまでも
 愛しているよ

 と言ってやります。

 長女は今、自分探しの真っ最中です。
 そして、寂しさから
 「私は家におって、おやつをつくるお母さんになる。」と言っていた次女は、私を反面教師に、ほんとうにいいお母さんです。

 山あり谷ありの人生を
 涙と笑顔で越えてきた
 ただ、前を向いて歩いてきた

 それが、私の家族です。